広瀬絢子

 



広瀬絢子は、2011年12月、草月流うつぎ会代表を退任し。いけばな界を引退いたしました。永らくお付き合いくださった皆様方に感謝いたしますとともに、今後ともよろしくお願い申し上げます。草月流引退にともない、覚王山教室は閉鎖し、→本山の広瀬典丈教室に編入。うつぎ会は、広瀬典丈が継承いたしました。(広瀬絢子)

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広瀬絢子いけばな歴
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広瀬絢子3歳









1928年(0歳)

6月5日、東京府荏原郡馬込で、医師の父後藤邦之助(邦之),母つゆ子のもとに生まれる。

1945年
(17歳)

岐阜県立加納高等女学校卒業。岐阜県の地方新聞社「岐阜タイムス」の夕刊紙「東海夕刊」に就職。

1948年
(20歳)

岐阜タイムス記者広瀬久雄と結婚。東海夕刊退社。

1953年
(25歳)

5月草月流入門。広瀬比沙雄の指導で草月流いけばなを学ぶ。比沙雄が「草月流うつぎ会」を結成。「うつぎ会花展・研究会」始まる。
1958年
(28歳)
10月、勅使河原蒼鳳来岐、講演会、講習会(うつぎ会主催)開催。
1960年
(30歳)
12月、 勅使河原蒼鳳来名・来岐、講演会、講習会開催。
1962年
(34歳)
マミ川崎主宰のマミ・フラワーデザイン・スタジオが開校。この頃から、絢子(あや子)は日本生花通信配達協会(J.F.T.D)内山錦吾の情報などでフラワーデザインを始めた。
1963年
(35歳)
10月、「草月流岐阜支部」が結成され、記念いけばな展が開催された。うつぎ会展にフラワーデザイン部門を加える。
1964年
(36歳)
1964年、池宮妙子主宰「東京フラワーアカデミー」に加わり、フラワーデザインを本格的に始める。
1967年
(39歳)
「日本フラワーデザイナー協会(NFD)」設立、フラワー装飾技能士国家検定資格制度が確立。フラワー装飾技能士・NFD本部講師となる。
1968年
(40歳)
9月、アメリカ・シカゴのフローラル・アートスクールでウイリアム・キスラーからフラワーデザイン(ウエスタンデザイン)を学ぶ。(恵泉女学園主催フラワーデザイン研修コース)。
1969年
(41歳)
恵泉女学園主催、ビル・ヒクソン・フラワーデザイン研修コースに参加。7月、大阪心斎橋・千里教室開設、草月いけばなとフラワーデザイン講師を担当。12月、第17回「うつぎ会展」名古屋中日ビルにて開催。
1970年
(42歳)
10月、名古屋覚王山に引っ越し。覚王山ルナプラザ教室開設。
1971年
(43歳)

4月、「うつぎ会ファッションフラワー展」開催。(岐阜、山勝百貨店)、11月「中京地区草月展」が開催され、出品。

1974年
(46歳)
1974年5月、NFDヨーロッパ(ロンドン・マドリッド・ローマ・チューリヒ・パリ・コペンハーゲン)研修旅行。
1977年
(49歳)
1月、広瀬比沙雄死去。広瀬絢子がうつぎ会代表となる。和食の店「車屋」名古屋駅ターミナルホテル店(1987年まで)、岐阜加藤洋服ディスプレイなどを行う。(1984年まで)
1978年
(50歳)
10月、第23回「うつぎ会展」、広瀬比沙雄遺作いけばな作品写真とオブジェ数点を加えた「広瀬比沙雄追悼遺作展」として、丸栄スカイル画廊特設会場で開催。
1979年
(51歳)
4月、「花と陶器展」、9月、第24回「うつぎ会展」(名古屋市博物館)開催。12月、いけばなインターナショナル名古屋支部デモンストレーション。
1980年
(52歳)
5月、「初夏をいける小品展」(名古屋駅ターミナルホテルロビー)開催。
10月、 第25回「うつぎ会展」(岐阜・新岐阜百貨店)開催。
1981年
(53歳)
3月5日〜26日、中日新聞コラム「花ごよみ」3月「ナノハナ」を4回担当掲載。6月、第26回「うつぎ会展」(名古屋駅ターミナルホテルロビー)開催。7月、「花とオブジェ展」(名古屋市博物館)開催。10月、草月会岐阜県支部支部長就任。(94年まで)創流60周年中京地区草月展出品。
1982年
(54歳)
10月31〜11月3日、 第27回「うつぎ会展」(名古屋駅ターミナルホテルロビー)開催。
1983年
(55歳)
6月、高針西友草月流うつぎ会展(名古屋高針西友ホール)開催。8月、うつぎ会講習会「第3部オブジェ」。11月20〜23日、第28回「うつぎ会展」名古屋駅ターミナルホテルロビー)、12月9〜12日(草月会館・開催。「広瀬比沙雄いけばな作品集」発行。12月、
1984年
(56歳)
7月、YEユースキャンプ(瀬戸市定光寺研修センター)で来日学生百人を前にいけばなデモンストレーション。8月、うつぎ会講習会「紙を使って」。9月、西友 うつぎ会展(名古屋高針西友)。11月「うつぎ会展」(名古屋駅ターミナルホテルロビー)開催。
1985年
(57歳)
4月・5月、エキトピア協賛「うつぎ会展」(名古屋駅ターミナルホテルロビー)開催。6月、第29回「うつぎ会展」-紙・花のフォルム(岐阜市民会館) 開催。9月、高針西友草月流うつぎ会展(名古屋高針西友ホール)開催。
1986年
(58歳)
4月・5月、エキトピア協賛「うつぎ会展」(名古屋駅ターミナルホテルロビー)開催。10月、母つゆ子死去。
1987年
(59歳)
4月、エキトピア協賛「うつぎ会小品展」(名古屋駅ターミナルホテルロビー)開催。『そうげつ増刊号』(62年秋)「場にいける名古屋編」にいけばな。(於 名古屋駅南アピタ3Fレディスフロア)
1988年
(60歳)
4・5月、「うつぎ会小品展」(名古屋駅ターミナルホテルロビー)開催。5月、メキシコシティ在住の長女、はゆみが肝臓癌で入院中との連絡を受ける。7月、はゆみ帰国のため渡墨。帰国後、愛知県がんセンター中央病院入院。10月、はゆみ死去。
1989年
(61歳)
4・5月、第31回「うつぎ会展」(名古屋駅ターミナルホテルロビー)開催。

1990年
(62歳)
4・5月、第32回「うつぎ会展」(名古屋駅ターミナルホテルロビー)開催。
1991年
(63歳)
5月、第33回「うつぎ会展」(名古屋駅ターミナルホテルロビー)開催。7月、「第2回見たい見せたい美術展―瑠璃色の地球―」(岐阜県美術館)出品。11月、岐阜新聞にいけばな(「今月の花」)。12月、岐阜県美術館にいけばな(「西洋版画展」協賛)。
1992年
(64歳)
5月、草月フランスアートツアー参加。(勅使河原宏プロデュース「トゥーランドット」リオン観劇)。9月、「草月イン名古屋ヒルトン」エスカレーターフロア装飾。10月、NHK信長オープンセットにいけばな(岐阜市太郎丸)。11月、中日いけばな協会代表作家展(愛知芸術分かセンター)出品。
1993年
(65歳)
3月、財団法人草月会評議員選任。7月、高山平野屋旅館フラワーク。10月、名古屋城天守・岐阜県庁ロビーにいけばな。岐阜県庁、岐阜市役所ロビーにいけばな。








1994年
(66歳)
6月、中日新聞にいけばな。日中友好いけばな訪中団参加「日中友好いけばな展」出品(南京)。7月、名古屋城天守にいけばな。11月、「草月岐阜支部いけばな展」をプロデュース(岐阜ふれあい会館2階)
1995年
(67歳)
1月、そうげつ増刊春号掲載。4月、岐阜ふれあい会館にいけばな。5月、岐阜新聞コラム「華道ギャラリー」にいけばな掲載。9月、「サントノーレ」(名古屋ヒルトンプラザ)ウィンドウ装飾。12月、名古屋ヒルトンプラザクリスマス装飾。12月、岐阜ふれあい会館にいけばな。
1996年
(68歳)
3月、日本いけばな作家展ぎふ(長良川国際会議場)。8月、名古屋城天守にいけばな。11・12月、岐阜ふれあい会館玄関にクリスマス・正月花大作。12月、龍美苑フラワーク(岐阜グランパレホテル)。
1997年
(69歳)
2月、名古屋ヒルトンホテルロビーいけばな。4月、「草月栄誉賞」受賞。龍美苑フラワーク(名古屋ドーム)。9月、「バジーレミラノ」ウィンドウ装飾。(名古屋ヒルトンプラザ)10月、「創流70年草月岐阜支部展」をプロデュース(長良川国際会議場1・2階)
1998年
(70歳)
3月、フラワードーム98-中日いけばな協会展出品。10月、「メガネのミキ岐阜店」いけばなディスプレー。11月、頚椎損傷のため入院。12月手術。翌年1月退院。
1999年
(71歳)
3月、70周年記念花展に対し、岐阜支部、「最優秀企画賞」受賞。7月、名古屋ヒルトンホテルロビーいけばな
2001年
(73歳)
2002年
(74歳)
11月、「蒼風生誕百年記念草月いけばな展岐阜」をプロデュース(岐阜未来会館・庭園)
2004年
(76歳)
8月、草月275号「自作花器にいける」掲載。9月、「飛騨高山くらしと家具の祭典」(飛騨生活文化センター)合作出品。
2005年
(77歳)
2006年
(78歳)
11月、心臓疾患。ペースメーカー植え込みのため入院。翌年1月手術・退院。
2007年
(79歳)
3月、草月栄誉賞受賞。5月、岐阜県支部「創流80周年記念草月いけばな展」長良川国際会議場1・2階、社中と共に出品。
2008年
(79歳)
3月、岐阜県伝統文化継承者顕彰受賞。11月、ペースメーカー再手術。
2011年
(83歳)
12月、草月会岐阜県支部県委員・ 草月流うつぎ会代表を退任。いけばな界を引退。
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