中国、朝鮮、日本の陶磁器(広瀬典丈)


製作者から見た、陶磁工芸、美術について
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(フィニシングスクール・フェリシア1989年11月2日講義録)
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(3)中国、朝鮮、日本の陶磁器

1. 陶磁器の美術館について

今日は中国、朝鮮、日本の骨董を少し持ってきました。
私の持っているものですからすごいものは無いですが、感じはつかめるのではないでしょうか。
それから、陶器に関する美術館で、大阪にある安宅コレクションと東京の出光美術館の紹介をします。もちろん日本にはたくさん美術館があって、中でも陶器関係の美術に関しては日本はよくまとまったものが見られると思います。

●台湾の故宮博物院    

たとえば、台湾の故宮博物院は、数とか質ということになるともっと上等なものをたくさん持っていますが、それは中国陶磁の王宮で使われたものが主体です。中国では民間で使われたものと王宮で使われたものがかなり違います。
そして、王宮に使われたものだけがいいのではなくて、民間の方がかえって魅力的なものも多いのです。また、この博物院 には古いものもありますが、いちばん充実してくるのは宋時代(960〜1279)以降、明、清のものです。

●イギリスのコレクション

イギリスは、植民地時代に、中国陶磁をたくさん集めました。ヨーロッパ人が陶磁に関心を持ったのは、染付け磁器に関してはオランダを通 じてヨーロッパに伝わった部分もありますが、広い意味での中国陶磁に関心を持っていろいろ集めたのはイギリス人です。したがってイギリスにはデヴィッドコレクション(ロンドン大学)のようなとてもいいコレクションがあります。

●トルコ・トプカピ宮殿のコレクション

その他、中国陶磁の特に元時代の染付や青磁を集めたコレクションとしては、トルコ・トプカピ宮殿のものが有名で、染付や青磁の大皿や壺瓶類が多く残っています。

●日本のコレクション

大きくいえば世界中のものに関するコレクションが、日本にはけっこう出揃っています。江戸時代まででもかなり持っていたんですが、明治以降また増えて、さらに現在も増えています。今、日本はお金が余っていますので、諸外国からいろいろな美術品を買い集めています。新しいコレクションもどんどん展開されている時代です。 

●東洋陶磁美術館(大阪市・安宅コレクション)

最近というより少し前ですが、安宅コレクションというのを皆さんは知っていますか?今大阪の中之島公園という大阪駅の近くでとても環境のいいところです。その中に、大阪市の東洋陶磁美術館という形で保管されています。これは、中国のもの、朝鮮のもの、国宝、重要文化財を含めてとても内容のいいコレクションです。

●出光美術館

もう一つ紹介したいのは東京の出光美術館です。ここは絵や書もある、中国、朝鮮だけではなくて、他のアジアやオリエント、日本、ヨーロッパのものもある、よくまとまった所です。

2.中国、朝鮮、日本の陶磁器

さて私が持ってきたものも含めて、中国、朝鮮、日本のものを見ていきましょう。
1.2.が中国、3.4.が、朝鮮、5.〜12が日本のものです。中国、朝鮮のものの形が少し違うのがわかりますか?
中国のものは端正ですね。朝鮮のものは高台の作りが粗雑です。だからへたくそだとかそういう意味ではありません。むしろ、とても魅力的でしょう。日本のものの高台、9.なんかは朝鮮のものに似てますし、10は中国のものに似ています。

●朝鮮の陶磁器、『唐津』(からつ)『萩』(はぎ)

ところが、じつは9.は『唐津』(からつ)で、朝鮮のものとつながっています。
3.は『高麗青磁』(こうらいせいじ)といって、高麗朝(936〜1392)のものです。いいものはもっときれいで、透明な青緑色です。
4.は李朝(1392〜)、この3.4.と9.はつながってるんです。秀吉が、文禄の役で連れてきた陶工の一部は、唐津に住みます。だから、『唐津』は朝鮮の技術がそのまま入ってきたものです。地理的にも朝鮮と近いですから、使う土も朝鮮のものと似ています。『萩』(はぎ)なんかも同じです。 朝鮮のものは形だけでなくて、絵付けも中国のものとは違っています。端正じゃなくてロクロもたぶん軸が動くのを使っていたんでしょうか。うねうねしながら作ってる。だから、右と左でカーブが違うものもあります。もちろん全部がそうではなくてきれいなものも作りますが、それでも裏は粗雑です。やはり感受性が違います。

●梅瓶(めいぴん)スタイル

(写真1)は梅瓶(めいぴん)という、中国でできた酒瓶の形です。朝鮮でも同じような梅瓶スタイルが作られていますが少し形が違います。(写 真2)さらに日本のもの(写真3)ではずいぶん違ってしまいます。
といってもこれは、広い時代のほんの一こまを取り出しただけなので、これだけでそれぞれの文化の雰囲気に触れるというのは無理ですが、それでも何か感じる所はあるでしょう。

(写真1)白磁梅瓶
(中国・北宋時代)
(写真2)青磁梅瓶
(朝鮮・高麗時代)
(写真3)灰釉梅瓶
(日本・鎌倉時代)

●古染付

2.のような染付けの磁器を、『古染付』(こそめつけ)といいます。そういうと古いものかと思いますが、そうではなくて、明朝(1368〜1644)末期のものです。
『古染付』はふつう日本向けの商品ですが、2.のものは、中国の一般 雑器です。
明が衰えてきて王朝の力が無くなりますと、民間に売る方に力を入れる、その中で日本の注文にも応じていったのです。
1.は清朝(1616〜1912)のものです。   

●『須恵器』(すえき)『瀬戸黒』(せとぐろ) 『志野』(しの)『青織部』(あおおりべ)

5.は『須恵器』(すえき)です。自然降灰釉が掛かっています。陶器を焼くと薪を燃した灰が落ちて、土と反応を起こします。灰の成分は、珪酸、アルカリ、石灰などです。そんなものは高温になると熔けてガラスになります。
6.7.8.は桃山時代から、江戸時代にかけての<美濃も の>です。7.は『瀬戸黒』(せとぐろ)<引き出し黒>といいまして、鉄分の多く入った釉薬をかけた品物を、窯からいきなり出して、急冷すると、釉は全て黒くなります。
6.は有名な『志野』(しの)です。白いという意味です。でもこれはあまり『志野』らしくありません。これは登り窯ができてからそれまでの穴窯、蛇窯より熱効率が良くなって温度が早く上がる、そうしたらそれまでの志野のように穏やかな光沢ではなくて、テカテカ光るようになりました。つまり織部時代の志野です。
8.は『青織部』(あおおりべ)といいます。緑釉ですが、真ん中の溜りがきれいでしょう。こういう感じは何ともいえませんね。
日本人というのは、雫が落ちそうで落ちないとか、自然らしさみたいなものですか。こんなのがすごく好きです。端正に作られたものは賢しらだといって嫌う。たとえば<粋>何ていうのは、ひけらかさないで抑制してしまう。その何気なさ、そんなところに魅力を感じてしまうのが日本の文化なんですね。
       

●『有田』(ありた)

10、11は『有田』(ありた)の磁器です。日本で磁器が初めて焼かれるようになったのは、江戸時代、九州の有田からです。その後10みたいな金や上絵を使った『錦手』が生れました。

(4)焼物の<意味>・<用途>

1.「茶の湯」と「茶道具」

さて、皆さんに今これらをお見せしたのは、現物を見ていただくのがいちばん「陶器って何だろうな」という感じをつかむのにいいのではないかと思ったからです。こういうものを今まで何らかのかたちでご覧になる機会があったとすると、それは「茶道具」ではないでしょうか。そこで「道具」ということについても考えてみたいんです。でも、その前に、「茶の湯」ですね。
私は「茶の湯」について何も知らないので、なまじっかな知識で言うことになってしまうかも知れません。けれども、もともと「茶の湯」はお茶を飲みながら、その道具自慢をするといったところから始まったんじゃないでしょうか。
「闘茶」といって、どこのお茶かどこの産地かを当てるというゲームもありました。そのための道具にかこつけて自分の持ち物を並べて見せるなんてことです。ひょっとしたら違うかも知れませんが、私はそんなふうに思っています。

2.用と美の視点

陶磁器のことを考えていく場合によく問題にされるのが「用と美の視点」などという話です。
焼物には彫刻と違って用途、つまり使い道がある。それと美の問題、その辺をまず考えてみたいと思います。人間が作ってきた文化は人間にとっての<用途>とどんな関連があったんだろうか、なんてことですね。
人間が文化を作ってきたというのは、たとえば、粘土で形を作って、それを焼いて器にしたわけです。器は中にものが入ります。こういうことは、最初に「何か入れたいから器を作ろう」というので作ったのでしょうか?

3.通俗的記号論 

10年くらい前から「記号論」というのがすごくは流行って来ました。それは、簡単に言うと、全てのものを <記号>として考えていくという立場です。
その場合、記号を成立させるためには<約束>がなければいけません。決まり、記号を成り立たせる枠組です。
それから、記号というのはそれを表わす<形>、たとえば、言葉ですと「青」とか「黄色」とかいうときの、音や文字です。そういう側面 と、もう一つ、その記号の<意味>、それが示す<内容>がある、そんな言い方をしました。  
 

4.<意味><内容><機能><用途>

そこで言われる<意味><内容>というのは、記号の<機能>、つまり<用途>です。そういう形で考えていく かぎり<機能><用途>の問題はいつまでたっても出て来てしまいます。美的機能なんて言い方も成り立ちます。
けれども、陶器を作る人が、湯呑みや茶碗やお皿を作る場合に、用途のことを考えて作っているのかといいますと、私はあまり考えていません。
今作っているものが、使うときにいいか悪いかとか、盛り付けに使うのに、これは適当な大きさだとかいうことは、私にとっては二次的な問題です。

5.湯呑みは、お茶を飲むための道具か?    

本当は、湯呑みはお茶を飲むための道具でなければいけないのが、作っているうちに美的なことに関心がどんどん移っていってしまって、それで肝心な用途というところから逸脱してしまった、というふうに考えるべきなのでしょうか?
それとも、じつは逆ではないか。用途というものの方が逸脱で、最初から湯呑みというのはお茶を飲むための道具なんかではないんじゃないかということも、考えてみていいですね?

6.文化は<意味>の織物である

人がものを欲しくて買う場合、たとえば、衣服は寒くて着る、暖かくするために買うんじゃない、むしろ、ファッションですね。その場合でも、防寒とは違う<意味>はあります。たとえば制服には制服の意味がある。警察官の制服は警察官のしるしです。
だから、どんなものでも全て意味を帯びているということは言えるのです。意味というのは、先日も言いましたが、民族によって、言葉によって、それぞれが一つの織物のようにつながっています。その中で<意味>というものが現われてきます。
   

7.文化は<過剰>としてある

ものがあるというのはすでに<意味>がある、そして、<意味>はたしかに<用途>なんですが、そういう<意味>が出現する以前に、たとえば器を作るのはものを入れるためじゃない、人間はそれを作りたいから作ってしまったんだ、というような面 が必ずあります。
昔は、経済的な理由ということをひじょうに重要視して、文化というのはまず必要最低限の生活があって、その上により豊かな文化が生れるんだというように考えたわけです。でも、はたしてそうでしょうか?
よく言う話では、「人間は裸の猿だ」というのがあります。つまり、衣服がないと寒いので服を着たんだということです。でも、考えてみるとおかしいですね。服を着ないあいだもちゃんと生きてたんですから。
そうすると、人が衣服を着たのは、他の理由からです。先日紹介した本で、丸山圭三郎は「裸の猿じゃない、逆に人間だけが衣服を着ている、他の動物こそ裸なんだ」と言っています。
ものを着るというのは、文化を着るということです。人間は必要性で文化を生み出したんじゃなくて、過剰として生み出したんだというわけです。過剰というのは、ただ過剰ですから、人間にとってやむにやまれずあった。
音楽が鳴ると踊りたくなるのは運動になるからではありません。踊ってしまうんですね。他の動物よりも少しバカかも知れないけれども、そういう余分なことをしてしまうのが人間です。その余分なものがどんどん膨らんでいって、重なり合っていったときに仕切り線の境界ができる、それが<意味>だというんです。(注)

8.焼物の魅力

なぜ、こんな話をしたかといいますと、陶器やそのほかの美術品、あるいは目に入ってくるものは何でもいいんですが、「この用途は何ですか?」という見方は、まづいんじゃないか。
今日ここに私が持って来たものも使えそうなものはあまりないですが、「これは使えますか?」という話ではなくて、使えなくてもいいでしょう。これを見たらすごく魅力的だというふうに感じませんか?音楽が鳴ると踊ってしまうのと同じところで、陶器を見ることもできますね。

9.『純粋芸術』と『工芸』という視点を越えるには

絵画や彫刻の、『純粋芸術』という言い方に対して、陶器のような『工芸』を、二次的芸術なんだというような分類法の便宜性を越える視点はそれです。意味を考えずに「ああ、魅力的だな」というふうに、パッと入ってしまうのが、その出来事に触れる近道です。

注及び☆読書案内

(注)これは丸山などの意見ですが、 「人間だけが余分を持つ、だから人は特別な動物だ」という考えを私は持っていません。動物の脳の作用に過剰は含まれており、人を含む家畜化された動物のあり方として文化はあるのだと思います。
「やきもの文化史」
三杉隆敏著…岩波新書83

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